この記事では、戦国時代から安土桃山時代にかけてキリシタンとして知られた「細川ガラシャ」の子孫が現在何をしているのか調査しました。細川ガラシャの子孫は現在著名人として活躍しているケースが多く、皇室の人物や元総理、ジャーナリストなど、錚々たる顔ぶれ。どんな人物がいるのか調査してみましょう!
そして、細川ガラシャの壮絶な半生も振り返ってみたいと思います。
細川ガラシャの子孫まとめ
細川ガラシャの子孫として知られているのは、以下の人物たちです。
- 天皇陛下
- 細川珠生(ジャーナリスト)
- 細川護熙(第79代内閣総理大臣)
- 細川護光(陶芸家)
天皇陛下をはじめ、どの人物もそれぞれの分野で活躍している人たちですね。細川ガラシャの夫・細川忠興には側室も存在しているため、細川ガラシャ視点では直系子孫でない人もいますが、家系図上は関係のある人物立ちです。
1人ずつ掘り下げてみましょう。
天皇家は細川ガラシャの子孫だった
天皇陛下は、もとを辿ると細川ガラシャの子孫になります。すなわち、天皇家には明智光秀の血が流れているのです。
順を辿ると、このような形になります。
- 明智光秀の娘である細川ガラシャが細川忠興と結婚
- 細川ガラシャと細川忠興の間に生まれた三女・たらが稲葉一通の正室となる
- たらと稲葉一通の玄孫にあたる人物が公家の勧修寺家に嫁入りする
- たらと稲葉一通の玄孫の孫が仁孝天皇の母・勧修寺婧子である
このように、天皇家の家系図を遡ると細川ガラシャが存在しているんですね。
細川護熙・護光親子
続いては、第79代内閣総理大臣の細川護熙(ほそかわ・もりひろ)さんと陶芸家・護光(もりみつ)さん親子です。
細川忠興の直系子孫で、細川護熙さんは妻との間に護光さんを含む3人の子どもを授かります。
細川護熙さんの家系図も豪華で、弟・近衞忠煇の妻が三笠宮崇仁親王の娘であり、その弟・寬仁親王の妃信子さまは、麻生太郎さんの妹にあたります。
細川珠生は洗礼名も同じ「ガラシャ」に
政治ジャーナリストの細川珠生(ほそかわ・たまお)さんは、細川ガラシャと同じキリシタン。洗礼名も同じ「ガラシャ」にしたそうですよ。本名である「珠生(たまお)」も、細川ガラシャの本名「玉子(たまこ)」と似ていますね。
性格も細川ガラシャによく似ているそうで、子育てや介護をしながら仕事にもまい進するエネルギッシュな女性だそうですよ。
細川ガラシャの人生を振り返る
細川ガラシャは明智光秀の娘で、もともとは「明智玉子(あけち・たまこ)」という名前でした。父の主君であった織田信長の命令で、16歳のとき細川忠興と結婚します。
結婚から4年後、父・明智光秀による本能寺の変が起こったことで「謀反人の娘」というレッテルを貼られ、幽閉されたまま数年を過ごしました。
そして、居場所を求めるためにキリシタンになり名前が「細川ガラシャ」となりました。キリスト教では自害が禁じられていたために、細川ガラシャの最期は屋敷の家老に自分の胸を槍で突かせるという、壮絶なものでした。
まとめ
細川ガラシャの子孫が現在何をしているのか調査しました。細川ガラシャの子孫は、天皇陛下から元総理大臣までさまざま。中には細川ガラシャのアイデンティティーを受け継いだ人や、同じ洗礼名でキリシタンとして生きている人もおり、ときが流れても細川ガラシャの偉大な生き様が語り継がれていることが分かりましたね。細川ガラシャの人生に興味を持ったら、ぜひ『麒麟がくる』などの大河ドラマを楽しんでみてくださいね。